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なんだか、3月6日の今日って凄い日だったみたい。


私ってそういうところがあって、なんかよく分からない大きなエネルギーに突き動かされて行動していたら実はその背景で宇宙がすごい動きをしていたって事、よくあります。


「この日は星回りがこうだから・・・だから私はこうする。」


ってこともあると思いますが、大事なときに限って後から知るパターンがよくあり、

「ああ・・・だからか」と、納得するパターン。今日もそんな感じでした


例えば占星術で大人気の石井ゆかりさんの星読みブログより一部抜粋しますと・・・・


2011年3月12日に牡羊座入りした天王星が、 今週3月6日、牡牛座に移動します。 天王星は約7年ほどの「時代」をつかさどる星で その時代に人々が一番見つめているもの、 最も大きく変わる部分、 所謂集合的無意識と呼ばれるものの「表現型」みたいなものが 天王星の配置によって読み取れる、と考えられます。 それが星座から星座へ移動する日は いわば「時代の節目」「新しい時代の扉を開くタイミング」です。 この3月6日で、過去7年ほどの時代が収束し、 新しい時代が始まる ということが感じられるわけです。


2011.3.12と言うと・・・・誰もが忘れる事のできない東日本大震災の真っ只中ですね。

私の今の人生は、そこで生まれ変わったと言っても過言ではありません。

「私はなんのために生まれて来たの?」「何をする為にここにいるの?」

と、自分自身に問いかけ、「生きた方」をシフトチェンジした、そのタイミング正に3.11の直後。


22歳の頃に美容整体師という道に入り、その道で歯を食いしばりながら、お金という価値観、時間という概念、人とは何たるか?と、多くのことを学びました。


人はお金があっても幸せにはなれない。20歳そこそこの女子が仕事で得た100万円という大金を手に取り感じた事でした。


震災後にその美容整体師というサロン業を一度手放し、私は2011年の12月に個人事業主として開業することになります。


「この自分の命は、未来の子供達のために使いたい」


そう思い、立ち上げた「ゔぃーなすさーくる」という同じ意識の仲間たちが集まって出来たサークル。そこで仲間が出来て、小さな力の集合体で大きな一つの思いにして行こう!!光ある未来を作って行こうよと色々な取り組みをしました。


自分には子どもはいないけど、でも未来に地球の負債を残してはいけないと思ったのです。子どもたちが何の心配もなくありのままの自分で生きられる世界を作るためにはどうしたら良いのだろう??

そこから私の探求は始まりました。

そのうち自分自身に赤ちゃんが出来て、それを機に結婚をして、リアルに


「子どもの未来」


を感じるようになったのです。考えるようになったのです。


子育てをしていくうちに、横浜での生活に疑問を抱くようになり、自然を求めて旅をしました。


娘は3歳までの間に、沖縄、九州各地、京都、三重、静岡、関東はもちろんのこと、それから北海道へとすごいマイルを貯めたお子様になっていました。


そこで最終的に「北海道移住」「北海道生活」に定まったのです。


そう考えると、ここにこうして自分がいることの始まりは、あの3.11の大きな地球の揺れと、私自身に起きた内側の揺れからだと分かります。


その過去7年の集大成が今日という日に幕が降り、新たなステージの扉が開くというではありませんか!!


「新しい時代の幕開け」というわけです。


そんな中、私が何をして来たかというと・・・・


「個人事業主の開業届を3月6日付けで出して来たった!!」のです。


これね、何で今日だったのかって、もう何となくでしかなかったんです。


でもグイグイと押される感覚がありました。ポンって背中を押すっというよりは、もうグイグイと・・・


なんか、3という数字と6という数字が並んでいる感じがいいなあって、ただそれだけですよ。


でも、この開業届を出すって私の中ではとっても大きな事なので、何で今日だったのかなって・・・ふと見た石井ゆかりさんの星読みに今日が

・3月6日に天王星が牡牛座入り 

・同日、水星が魚座29度といういろんな意味ですごいとこで逆行開始 

・3月7日、海王星とダンゴになって魚座新月 

・3月8日、オウンサインの木星と土星がセミセクスタイル 

 盆と正月とクリスマスが一緒に来るような感じです(どんなだ)。 今週を境に、いろいろなことがドラマティックにスタートしたり、 あるいは、向きを変えたりするかもしれません。


とあったので、妙に納得。正に過去を引きずりながら、それでもバージョンアップした幕開け。みたいな感じです。もう、まんまです。私はさらに牡牛座なのでその通り。


牡牛座って大地がテーマなんです。そう、だから北海道という「地」を選んだというのも、すごい私らしいんです。大地のエネルギーでここを選んでいるので。この地で何かを生み出すという自分自身のミッションがあるのです。

それが、この3月6日に発信できたというのは、もう流れでしかありません。いいよ、それでって言ってもらっているようです。


で、肝心なその場所は、洞爺湖畔にあります。古民家です。大好きな洞爺湖が目の前にあって、後ろには有珠山も昭和新山もあります。こんなすごい場所本当にありません。


ここで私がしたいことは、まずはもう一度「美容整体師」として活動をすること。ヨガもやりますし。でも本当にしたいことは、この場所で色んな人達と色んな事をしたい。子どもたちが活動できる拠点にしたい。何でもできる可能性がある場所に、誰でもそこで希望が得られる、そんな場所。


去年の8月にこのスペースを使って"小島さちほさん"と"小西温子さん"いうとっても素敵な方々が素敵な会をして下さいました。きっと今年もきてくれるはず!!


正に、日本のみならず国境を超えたコミュニティがここで誕生することを願っています。


10年かけてこの古民家に命を吹き込んでくれた前任のオーナーさん。その思いを引き継がせていただき、さらにこの場所に光をさして生きます。


も少ししたらHPも出来ますので、お楽しみに〜

みなさん、今日という日を祝福して迎えて下さいね!!


ああ、、他にも大事になご報告もありましたが、それはまたの機会に致します。


さて、随分ブログから遠のいていましたが・・・帰ってきました。

重い腰を持ち上げて、ようやく歩くことが出来た感じです。


こちらのサイトで途中になってしまっていますが、移住ブログなるものを書いています。


私が神奈川県横浜市から北海道壮瞥町へ移住して早・・・2年。

本当にちょうど2年経とうとしているところです。


いまや当たり前のように、洞爺湖界隈をブラブラとドライブして、時には湖畔でのんびりしたり、温泉につかってぼけーっとしたり、憧れのシュタイナー教育へ娘が通うようになったり、道の駅でお野菜を買って、地元産の食材に溢れたり、好きなときに山に行って、美味しいパン屋さんに時に行って・・・・とかとか。


とにかく全部私がやりたかったことが、この2年定着しております。

それでも未だに本当に来ちゃったんだ・・・と我にかえることが何度もあります。


それで、2年経ってどうなのー??と、いう話を書きたいなと思いまして、また、私の今後も是非ご報告したいと思っております。


まず、憧れの洞爺湖については・・・・


やっぱり、「いいんです!!」

「いいんです洞爺湖!」素晴らしいです。オールシーズン洞爺湖はいつでも素晴らしいです。


移住する事に対し、何が私の心を動かしたかというと、この「洞爺湖の美しさ」でしたから。


さらに、この移住してからの2年で、洞爺湖がなぜ美しいのか?ブラタモリ風にいうとですが、そういう地球的な視点で洞爺湖を見ることが出来、さらに沢山勉強できて本当に幸せです。まだ壮瞥町民歴が浅いにも関わらず、現地でガイドデビューも果たしましたから・・・今後も勉強勉強、経験経験ですが・・・


それと、「地域おこし協力隊」というお仕事について。


私は美容整体師として、恵比寿→銀座→下北沢→横浜と拠点を移しながら約10年。


そしてプラスしてヨガ&スポーツインストラクターとして横浜みなとみらいという大都会で2年ほど活動していました。


そのスキルと経験をいったんおいて、まったく経験した事の無い、行政職員とやらになったわけです。私の中ではある意味珍事件です。今までの自分ではありえないことなのです。

(以下のブログは壮瞥町公式HPで公開している私の移住体験レポートです)


でも私の想像とは違い、壮瞥町の町役場はとても働きやすい環境でした。


特に直属の上司の方には仕事から私生活から趣味からとってもお世話になって、いち早くこの町に馴染めたのはこの方のおかげでした。


それと、この地域お越し協力隊という制度は定住促進だけでなく、移住先で自分が自立していくためにはとてもいい環境を与えてくれます。


私は当初から子どもの教育に関わることや、健康や美容に関わる仕事を自分で独立させたいという思いがあったので、それにまつわる研修や、講習に時間と費用を当てさせてもらうことが出来ました。


地域おこし協力隊の給与とは、決して沢山あるわけでないですが、家賃は協力隊の間は免除してもらえるし、講習などにかかる時間や費用は基本「協力隊の活動」として認められます。


その他にも協力隊として必要と思われる町の活動や、自分のスキルアップのためのイベントなども同じことが言えます。


本来であれば自己負担で行う所、「活動」として認められ、自立を支援してもらえるというのは非常に大きなことです。


そのおかげもあって、そういった世界と縁も無かった私ですが、勉強を重ねることで現地で「ガイド業」を行うことも出来ましたし、また地域の子どもを対象に環境教育の講師として勤めることも出来ました。


では、自分の持っていたスキルは全く使えないか?といったらそれも違って、体育大学を卒業しているという経験を買われ、地域のスポーツクラブでの運動指導や、スポーツ推進委員として任命して頂いたり、現在は週に2本のヨガレッスンも行うことが出来ています。

(下の写真は洞爺湖の真ん中に浮かぶ島、中島でプライベート早朝ヨガを開催した時の写真です)


今までの経験を生かしつつ、新しい扉を開いてもらい、自分の思っても見なかった一面を見ることが出来た。ということでしょうか。


それもあって会う方会う方に、「長友さんっていったい本業はなーにー??」なんて聞かれるようになり、私自身も「何でしょうね(笑い)」なんて言い合うくらい。


でも、結局は社会のために貢献できて、沢山の人を笑顔に出来ることが出来ればどんな職業であれ私のゴールなんですよね。だからあんまりこだわらないのかも。


色んなお仕事のご依頼があるけれども、それが人の役に立てるのであれば私は「なんでもしますよ」という姿勢でいます。


ただ性分が「健康オタク」なので、健康や美容に関するアンテナは常に敏感ですが(笑)

それもあって最近こんなサイトもオープンしちゃいました♪

それと、壮瞥町にきてさらに開花したアウトドアフィールドでの活動。野外活動はやっぱり子どもの教育に必要だなと・・・そこで自分に出来ることとはなんだろう?と模索する日々です。そんなこんなで・・・


では今後、この地域お越し協力隊を締めくくるに向けて私がどのように展開していくか?というのは・・・



また次回へ・・・また腰が重くならないように頑張ります・・・


見ていただいてありがとうございました。引き続き今後もよろしくお願い致します。

私が壮瞥町へ移住してきた理由はこれをするためであると言っても過言ではない、都会の中で暮らす子ども達を北海道の大自然の中に解き放つこと。

『どこで遊んでもいいんだよ』
『何してもいいんだよ』
『大声だしていいんだよ』
『周りの目なんて気にしなくていいんだよ』


そんな風に言ってあげたかった。


そして、日本は世界は地球は大きくて広くて、今まで体験したことのない世界が広がっている。そこには地に足をつけた、素敵な人たちがいる。


そんな体験と出会いをさせたかった。


1年以上前から練って練って、このキャンプの為にとにかく歩いた。人と会い、沢山の経験をした。


限られた時間の中で何を優先的にプランニングしようと、悩みに悩んだ。


私が最優先に選んだのは
この壮瞥町で行う『自然体験と環境教育』。


今回のレポートではまずここをテーマに書きたいと思います。


私が移住するにあたり、壮瞥町役場のHPを見ると、そこに『移住者の声』というサイトがありました。

その出会いがこの壮瞥親子キャンプに繋がっていくのです。

NPO法人 いきものいんく 代表の加藤さん。
私は移住に向けて引っ越しのため、真冬の2月に壮瞥町へ初上陸した時、真っ先に会いに行ったのが加藤さんでした。

『ビビビッ』

ときました。

会いたかったのです。話を聞きたかった。
その後いきものいんくさんの活動にも何回か加わって、加藤さんがどんな目線で子ども達と触れ合い、何を伝えたいのか側で学びました。

関わるうちに、これはやっぱり子ども達に伝えたいなと、親子キャンプのメインに決めました。

一つは『洞爺湖』を体験し、いきもののつながりを学ぶこと。
通常洞爺湖は遊泳禁止となっています。

浅瀬からいきなり水深が180メートルに向けて深くなったり、対流している冷たい水がいきなり襲ってきたり、危険とされています。

そのため、ウェットスーツにライフジャケットを着用し、インストラクターがついて
『教育』として行います。

洞爺湖は水が綺麗で、透明度が高く
都会では味わえない場所。

しかし、そんな美しい湖でも
様々な問題を抱えています。
そんな、生命の循環の話、つながりの話。

私たち人間が自然やいきものとどう向き合うべきなのか?私たちがしてきてしまったことなどを学びます。

加藤さんの声に、みんなは本当に真剣!!


さらに次の日は
1910年に噴火活動でできた
四十三山でいきものさがし。

開始早々
『ミヤマクワガタ』を発見!!

虫がさわれなかった子達でも、大自然にはかないません。いつのまにかこのとおり。
たった1日で初めて触るいきものたち。

大自然を目の前に、苦手だなんて
言ってられないくらい楽しい。

都会ではタブーとされることも、
これだけ広大だとOKだったりするのです。

まず、
『○○はしてはいけません』とか
『私有地のため○○禁止』とか
看板みたいな注意書きってあまり見かけません。

それから、
火だって場所を選べば
できます。


夏の暑さから開放されたのもありますが、
とにかく『のびのび』ってこういうことを
言うんだなぁ〜と思ったキャンプ前半。

初めて出会う子どもたちも自然と溶け合い、
調和の中で互いに遊ぶのでした。
子どもって本当に、すごいなぁ。

室蘭民報さんにも取材頂き、
新聞にものりました!!

室蘭民報ニュース

壮瞥町の地域おこし協力隊・長友加也さん(35)が企画した、壮瞥の魅力を感じてもらう親子キャンプが7月26日から4泊5日の日程で開かれた。参加者が大自然を満喫し、町民との交流を楽しんだ。  ブログやフェイスブックなどでまちの情報を発信する中、「壮瞥に行ってみたい」という声を受け開催。神奈川、東京に住む5家族16人が来町した。  快晴に恵まれた27日は、洞爺湖でNPO法人いきものいんくの加藤康大代表とともに湖をシュノーケリング。都会では味わえない体験に歓声を上げていた。夜には町民らとの交流会、クワガタ探し、星空観測会などを楽しんだ。  家族5人で参加した吉島曜子さん(40)=神奈川県川崎市=は自然や涼しい気候に笑顔を見せ「長友さんがアップする写真などを見て行ってみたいと思っていた。子どもたちは大きい声を出して、走り回ってすごく良い表情をしている」と声を弾ませていた。  長友さんは「参加者が関東に帰ってキャンプの話をしてくれたら、多くの人が壮瞥を知るきっかけにつながる。壮瞥に関わりを持ってくれる『関係人口』を増やしたい」と期待していた。 (奥村憲史) 【写真=洞爺湖に入りはしゃぐ参加者たち】

www.muromin.co.jp



北海道 壮瞥町在住 
 Kaya Nagatomo のブログにお越しいただき
ありがとうございました!  

移住ブログでも散々紹介して来ましたが、私をこの北海道まで導いてくれた

「シュタイナー教育」

私の住む壮瞥町では本当に教育の幅が広いと感じています。そんなシュタイナーについての様々なプログラムが受けられるサマープログラムがありますので、ご紹介いたします。


シュタイナーの学びを大切に育む

NPO法人 「ひびきの村」よりご紹介です。

毎年8月になると様々なプログラムを用意して多くの方が訪れる「ひびきの村」という学び場。

さて、どこにあるのでしょうか?

「ひびきの村 北海道伊達市志門気町6-13」

洞爺湖も程近い・・・なんと「東京ドーム5個分」という広大な敷地面積が遊び場!!


私の娘も毎日この学び場へ通っています。

まだ雪解けの春の写真です。丘の上にあるフォレストベイ・ナーサリースクールへ通います。


この素晴らしい「場」で、この夏

「ありがとうの夏」

というテーマでサマープログラムが行われます。

8月1日〜19日にかけて、第1期から3期に分けて6つのプログラムが開催されます。


こちらではそのプログラムの詳細を簡単ですがまとめてお知らせをしたいと思います。お子様連れの方でも(3歳以上)同時に子どものプログラムも開催されるため、託児orプログラム受講をさせながらご自分も学ぶことが出来ます。


どんなプログラムかはまずはこちらの詳細をご覧ください。

大人の方はまずは自分の興味のある分野に視点を当ててご覧いただくと良いかと思います。

プログラムの紹介


🔻さらに・・・こちらのプログラムの詳細が知りたい方はこちらをご参考にしてくださいね!各プログラムの詳細をご覧いただけます。

✳︎ 一期A【アート&オイリュトミー】について

✳︎ 一期B【シュタイナー料理と栄養学】について

✳︎ 二期A【シュタイナー幼児教育】について

✳︎ 二期B【光と闇と色彩の法則(コローメソッド)】について

✳︎ 三期A【医療とアート&オイリュトミー】について

✳︎ 三期B【Connecting with Nature
​自然とつながる体験】
について


講師のご紹介

各プログラムの講師のプロフィールがまとめてみることが出来ます。


料金案内

ひびきの村 サマープログラムの参加費用についてみることが出来ます。


ここまで来て「行きたい!!」と感じた方はぜひこちらよりご参加申し込みください!!

申し込みフォーム


さて・・・最後にこのサマープログラムを毎年、毎年精魂込めて作り上げている運営の方の思いをご紹介させて頂きます。


きたはら のぶこ



私は、14年前に仕事を辞め、幼児教育を担う決意をしました。
​ 

生まれ故郷である神奈川県で、シュタイナー教育の保育を実践。
​ 

園のこどものために、そして自分のために、自己教育の毎日でした。
​ 

先輩の教師たちに支えられ、多くを学びました。

 5年前に、私は夫とふたりで ひびきの村に移住。
​ 

以前暮らしていた横浜も素晴らしかったけれど、

ひびきの村には私たち夫婦が求める環境がありました。
​ 

北海道の大自然からいただく恵みと

人間を超えた、大自然の厳しさ・偉大さ。

ちっぽけな私の悩みは小さなものだ、と感じながら暮らしています。


今から私がお伝えしたいのは、​
​ ヨーロッパを思わせる大草原が広がり、
​鹿の家族が道を横切るような大自然に囲まれ、
噴火湾と向こう岸の明かりが見下ろせる丘の上にある・・・・ 


 ここ、ひびきの村で

この夏、
​ 

 

小学生・中学生のためのプログラムを開催する、
その意味です。

心のふるさとができた!
そんな夏を、親子で過ごしませんか?


天からの授かりものである、こどもたち。
​ 

人間を理解し、お互いを認め合い、

学び働くことを目指すひびきの村から、

​家族を愛するあなたへの、この夏の贈り物。
 

「よーい、ドン!」

一緒にかけっこ、草むらをでんぐり返し。

​思い描くだけで、なんだか心が温かくなる光景ですよね。


 

でも、残念なことに今…

こどもたちが夢中になるのは、室内でテレビを見たり、

スマートフォンやパソコンのゲーム・アプリを眺めることだったりします。

外に出ても、車の通りにこどもが飛び出してけがをしないかハラハラしたり、

排気ガスや騒音が気になってしまいませんか?


 

遊具に遊ばれることなく、自ら遊びを生み出していくこどもたち。

 

その一方で、大人から与えられた遊びしか知らないこどもたち。
​ 

彼らの心と体の健やかさは、大人になるまでに

どれほどの違いが生じてしまうのでしょうか?

この大きな違いをつくるのは、こども時代の ほんのちょっとの

小さな出来事なのかもしれません。あなたには、こどもの頃、こんな思い出はありませんか?

近所の空き地で、バッタやトカゲを探したこと。
​ 

田んぼの中にいるおたまじゃくしを飽きずに見つめたこと。

ガキ大将のようなお兄ちゃんや友だちと、
​その日思いついた名前もない遊びに、夢中になったこと。

年齢なんておかまいなしでこども同士ケンカしながら、 いろんなことを自ら知っていく日々。 

このような以前は当たり前にあったような人生の学び場を、こども時代に体験させてあげたい…
​ 

大人になって知ったシュタイナー教育を 我が子に受けさせてあげたい。
​ 

そんな想いをすべて受け止め企画されたのが、
​東京ドーム5個分という広大な敷地と

できるだけ自然素材で作られたあたたかな建築で一人一人の個性を大事にするシュタイナー教育者と過ごす ​ ・・・・


この夏のプログラムです!


ぜひこの“魔法の国 ひびきの村”で ​
​記憶に残る夏を!
記憶喪失になっても忘れない!?
ご家族にとって、
第2のふるさとのような場になれたら、
これほど嬉しいことはありません。

「ひびきの村でお会いできるのをお待ちしています」


ひびきの村のサマープログラムの お申し込み締切は 7月25日(水) ※定員になり次第締切

これは横浜市在住の私と夫と3歳娘の

北海道に向けての移住ストーリーブログです。 


「壮瞥町ってどんな町??」



住む場所も『光』が見えてきたところで、 壮瞥町がどんな町なのか調べてみました! 


参考にしたのはこちら!!壮瞥町のHPより引用致しました。

内浦湾をはるかに望む壮瞥町は、北海道では珍しい温暖な地に属し、道内でも快適な地といえます。 気温は年平均7.8℃で、冬の積雪は平坦地で30cm前後と、道内では比較的少ないのが特徴です。 

合わせて2分30壮瞥町のVTRも参考までに・・・


北海道の中でも温暖な地域というのは魅力ポイント①ですね!! やはり北海道での暮らしの心配ごとといえば 冬の雪… 

比較的に雪は少ないと噂には聞いていますが、どうやら北の湘南と呼ばれる伊達市がお隣さんで暮らしやすいようです!


 それと・・・壮瞥町と言えば、世界ジオパーク認定地域! 火山のある町として有名です。

 火山と生きる共生する町。


それから・・・雪合戦発祥の町!!


 『雪合戦』って、世界から何万人も集まるという北海道の大イベント!! これはテレビで見た事があります(^^) 


 少子高齢化がすすむ過疎化地域ですが、 だからこそ手厚い支援が提供できる町といえます。 


町では、子どもの医療費無料化、子育て応援住宅、さらに中学生の 国際交流など、子育て世代を応援する独自の取り組みも多様。 また、住み慣れた町で健康を維持しながら安心して暮らし続けられる まちづくり、生きがいと介護予防を推進するまちづくりを目指し、 ご高齢者の支援・福祉の充実をすすめています。 


 今回私が調べた子育て応援住宅もこのような少子化対策の一貫なんでしょうね! 

 この国際交流素晴らしいです!  壮瞥町には フィンランドから運んだログハウスの温泉も!



 キムンドの家 洞爺湖の湖岸にフィンランド産の松材100%使用してログハウス調に建てられた木の香りのする公営温泉。 


 と・・・調べれば沢山出てきますが やっぱり魅力は 洞爺湖です💓そして素晴らしい景観です! 見れば見る程住みたくなる壮瞥町。極め付けはこの動画でした。


SOUND OF SOBETSU.壮瞥の音を集めた動画です。これを見たら・・・壮瞥町に行きたくなってしまいます。

今回は壮瞥町がどんな町か紹介致しました。私の説明よりも役場の壮瞥町公式HPを見ていただいた方が早いと思い、色々なURLを散りばめましたがいかがでしょうか?ゆっくりご覧くださいね♫




〜過去ログ〜 

 横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ① 

 横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ② 

 横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ③

 横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ④



北海道 壮瞥町在住 

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これは横浜市在住の私と夫と3歳娘の
北海道に向けての移住ストーリーブログです。

北海道移住ストーリー④

『神対応の役場職員』

私は『黄昏時』が大好きでした。あと何度この景色がみれるのか…指折り数えながら噛み締めていました…自分が決断してから、身近にこんなにも美しい景色が広がっていることにきがつきました。


前回の話では、
せっかく見つけた町営住宅に空きが無い!!
と、役場の方に回答をもらいましたというところで終わりました。


狙っていた町営住宅があっさりダメだった件でちょっと心が折れましたが、めげずにアタックしてみようと思います。

 
ひとまず、移住相談窓口があるらしいので…
質問してみることにします。
壮瞥町役場の公式HPは情報が整理されているし、何よりデザインが素敵✨

そのHPに行くと、


移住相談窓口がありました。
 
こちらに…メールにて質問してみることにしました。
 
私が質問した内容は以下です。
 
 
現在神奈川県 横浜市に在住の長友です。
先日子育て応援住宅コティについて問い合わせをさせていただきました。

現在3歳の子供と3人家族で暮らしています。
来年の春には洞爺湖周辺に移住をしたいと思い、現在住居を探しています。
 
一度そちらに伺って住居探しを…とも思いたいのですが、仕事もしているし、年末、年始は動けず、どうしたものかと思っています。
 
インターネットで色々空き家バンクも探してはみたものの、家族3人が住む家となるとなかなか見つかりません。
 
町営住宅もいまいち探し方がわかりませんし、お写真や位置などわかるものもなく、途方に暮れています。
 
インターネットで出ていない情報や、空き家などありましたら是非教えていただきたいのですが、そういった対応はしていただけますか?
 
それと、移住に際しての助成などあれば教えていただきたいです。
 
 
という内容、送ったものを
まんま載せました…(恥ずかしいですが・・・)
 

さてさて…返事は来るかな…と送ったあとにドキドキしながら待っていました。
 
 
朝送ったらばその日のうちに…返事をいただきました。
 
以下
 
 

長友  様
 
お世話になっております。
壮瞥町企画調整課です。(現在は総務課に名前が変わっています)
 
このたびは、お問合せをいただきありがとうございました。
壮瞥町にご興味を持っていただき、うれしく感じております。
 
早速ですが、ご質問についてお答えさせていただきます。
 
○住居について
ホームページ上で情報記載させていただいておりますので、URLよりご確認いただけると幸いです。
・空き家バンク(町営住宅と宅建事業者の物件情報が確認できます)
https://www.town.sobetsu.lg.jp/akiyabank/

※町営住宅は毎月1日~15日頃まで募集と申込受付し、20日頃までには入居者の決定。書類手続きが完了しだい入居との流れになっています。
※空き家情報は残念ながら乏しい状況です。
町内賃貸住宅であれば空き室(見込含め)確認いたします。
・町営住宅(公営住宅)の位置や写真など詳細情報
https://www.town.sobetsu.lg.jp/kurashi/joho/choeijutaku.html
 
※先日、お問合せいただいていたコティですが、先程確認したところ、今月中に退去者が出るとのことで1月に1戸募集を予定
していると確認しました。なかなか空きがでないため、ぜひ応募ご検討ください。

 
○支援制度について こちらもホームページでご紹介させていただきます。・住宅関係支援制度(主に新築・中古住宅の取得費用補助となっております)https://www.town.sobetsu.lg.jp/kurashi/joho/jutaku.html

・子育て支援制度(中学生までの医療費助成などございます) https://www.town.sobetsu.lg.jp/kurashi/kenko/kosodateshien.html
 
 
なかなか文章ではお伝えしきれないこともございますので、
ぜひお電話でもお問合せください!
また、ご連絡先お知らせいただければ、お電話させていただきます。
 
 
 
 
 
という、丁寧な丁寧な返信メールが来ました!

我が家では・・・壮瞥町

『神対応』

って言っとります。役場というか行政職員の印象が変わった瞬間でもありました。(こんなこと言ったらいけないのかも知れませんが、都会の区役所はとにかく区民が多いため、行政職員も大変です。1人に時間かけられないですよね?そのため冷たく感じることもしばしばありました。)

そして、先日電話してダメだった

『子育て応援住宅 コティ』


1月に空きがでますって!!

 
これは宇宙が動いたな…
神さま…いますね?

きっと私はここに住むんだ!
そのために、現在お住まいの人達動かさせれちゃったわね。
 
私はコティに住む!!
宣言します!
とにかくここに住むイメージをしまくります!!
 
そして、1月に募集が開始されるらしいので
それまでに何の書類が必要なのか、整理します。

まずはこちら…

○入居請書(連帯保証人2名)
・連帯保証人の印鑑証明書
・連帯保証人の所得を証明する書類(源泉徴収票の写し又は所得証明書)
※連帯保証人になれる方
・日本国内に住民票を有する2親等内の親族(親、兄弟、祖父母、子、孫)
・上記親族がいない場合は、近隣市町(室蘭市・登別市・伊達市・洞爺湖町・豊浦町)に居住する者

○同意書
団地内及び建物ごとの共益費(共用部の電気料、団地内草刈・除雪費など)を納めること。入居したときには、氏名及び家族数等を自治会長へ情報提供すること。


それからこちらも要チェックですね…
転入と転出届けもしなくては・・・・




横浜市の区役所にも行かなくちゃだし、とにかくやること沢山だ!!
 
とにかく希望が見えて来たから嬉しいです✨
 

今日は神対応の壮瞥町役場に感動したー!
っていうのと、願えば叶う!っていう光が見えたお話でした。

続きは…

横浜から北海道、壮瞥町へ移住…の体験話ブログ⑤


〜過去ログ〜

横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ①

横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ②

横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ③



北海道 壮瞥町在住

Kaya Nagatomo のブログにお越しいただき

ありがとうございました!


 
 


これは横浜市在住の私と夫と3歳女の子の

北海道に向けての移住ストーリーブログです。

北海道移住ストーリー③

『壮瞥への道しるべ』

洞爺湖は洞爺湖町だと、中島も洞爺湖町だと思い込んでいましたが実は中島のほとんどは壮瞥町だった!!写真は洞爺湖のシンボル中島にて。



夫がね2年ほど前に北海道全域を一年半くらいかけて仕事をしていたんです。

S・Eといういわゆるシステムエンジニアってやつで。

南は函館、道東は根室、網走、そして道央の胆振地域などなど・・・1年半近くかけて北海道と横浜を行ったりきたりしていました。


(その間、私は娘を保育園に預けながら働くというワンオペ育児でイライラ募らせる日々でした・・・・)


あるとき主人が北海道に行こう!!とはじめて訪れたのは、富良野・美瑛・旭川・占冠・札幌でした。


美瑛の丘

そしてその旅行で九州・沖縄派だった私は一気に北海道のとりこになったのです。
青い池


「北海道がこんなに素敵だと思わなかった!!景色も素敵だし、ご飯も美味しいし、何もかもが経験したことのない世界!!」

と、北海道が好印象になりまた違う場所に行きたいと思ってワクワクしていました。

そして、次に訪れたのが洞爺湖です。

こんな世界見たことないってくらいすごい場所があって、「洞爺湖」ってところなんだけど・・・って

はじめて訪れたのが2015.8.8です。
詳しくは…コチラ


娘がまだ1歳!?

この時は壮瞥滝にも行きました。




主人がここまで導いてくれたのですが、これが私と洞爺湖との出会いです。


そんな北海道を色々みてきた主人が提案してきた場所が「壮瞥町」でした。


『壮瞥町』に子育て支援の住宅があるから、壮瞥町のサイト見てみてって。

って言ってきたのです。


洞爺湖ってね、洞爺湖町と壮瞥町と2つの町にかこまれているんですよ。



住むなら洞爺湖町って思ったけど…


洞爺湖って壮瞥町でもあったのね??


調べてみよう🎶

壮瞥町ホームページより

子育て応援住宅コティ をリサーチしてみました。

こちらがそのうわさのコティです。



(1)町単独住宅 ママと考えた子育て応援住宅「コティ」


ママと考えた子育て応援住宅とは?

壮瞥町に居住しているお母さん達の意見等を参考にすることで、子育て世帯の方はが住みやすく、より子育てに専念できるように建設した住宅です。「コティ」という言葉は、壮瞥町の友好都市であるフィンランドの言葉で、「家」を意味しています。


住宅の特色

居住空間が1・2階で構成されるメゾネットタイプを採用していることや、子供の成長に合わせて移動できる間仕切り収納棚・サンルーム・対面キッチンなどを完備しています。また、家賃は月額41,000円で子供の人数に応じて減額になります。




写真を見る限り、新しいし、広そうだし、綺麗そうだし、とってもいい感じがする💓


住宅を選ぶときの私たちのポイントは

・洞爺湖から近い?(実はこれが一番は大事だった)

・家賃

・広さ(間取り)

・ご近所さんとの距離感

・近くに道の駅はあるか?

・私たちの当初の目的であるシュタイナー教育が受けられる教育の場との距離感

・清潔感


実はそのくらいでした。病院やコンビにはあんまり視野にいれずに、とにかく近くに道の駅があることが夢だったので、洞爺湖の近くで、道の駅が近くて、ある程度の清潔感と広さがあったら言うことありません!!

(後に一番重要なのは暖房設備だったと知る…それはまた別の回にて…)


住む場所を決める、住宅を決めるって実は真冬の12月、1月の北海道ってかなり難しい。


雪道運転する自信ないし…

飛行機飛ぶか不安だし。


現地に行かずして家をさがすとなると、

・数々の市町村のホームページから空き家バンクに行き探すか?

・民間の賃貸物件か?

・公営住宅か?


いずれにしても一度真冬の北海道に行かなくちゃならないのかな…

しかも子連れで??

と・・・またまたつまずいていました。


本当にこんな時期に引っ越ししちゃうの?

私達…


まぁ、とりあえず…現実を見にまずはパソコンとにらめっこです。



話をもどしますが・・・

この子育て応援住宅ってやつは


3LDKで91.71㎡あるらしい!!


さらにお家賃はなんと41.000円!!


冬は北海道は燃料代がかかるからプラス20.000円~40.000円くらい?


だとしても安い!


場所はどうだろうか?


調べてみたら・・・洞爺湖も近い!!

十分歩ける範囲だ!!


どうしよう・・・なんだか良さそうです。



早速役場に聞いてみよう!!


電話…してみます。📞!!


「すみません!!横浜在住の者ですが・・・壮瞥町のコティという住宅に移住含め住みたいと検討しています。今、そちらの空きはございますか??」・・・・と。


結果…


『現在空きがございません』



【・・・・(T_T)】



家探し…

『振り出しに戻ります…』

ダメって言われるとますますそこがいいんですけどぉ…






続きは…

横浜から北海道、壮瞥町へ移住…の体験話ブログ④



〜過去ログ〜

横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ①

横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ②

横浜から北海道、壮瞥町へ移住の体験話ブログ③


北海道 壮瞥町在住

Kaya Nagatomo のブログにお越しいただき

ありがとうございました!






これは横浜市在住の私と夫と3歳娘の
北海道に向けての移住ストーリーブログです。

北海道移住ストーリー②
『いつも見ている景色が違って見えた』


鶴見川の河川敷から見る夕日が大好きでした。夕方になるとこの景色を求め外に飛び出します。
前回からの続きです。
   
決断したら私達は早い早い早い…
やる事を並べて、こなすだけです。

家からお散歩しながら徒歩20分。駅近くにある不動産屋に
「我が家のマンションの査定」をして頂いたわけですが・・・・

実は一年前あたりから家のポストへ
「売却しませんか?」という色んな不動産からチラシが入っていたのです。

私の住んでいるマンションは隣がスーパーで、しかもただのスーパーではありません。  

新鮮なお魚が並び、激安セールをたびたび行うスーパーで大人気なのです。      

駐車料金も無料、朝は9時から、夜は22時まで年中無休のスーパーです。
テレビにも出ているくらいの人気バイヤーがいるとかでね!

さらに徒歩15分ほどで大型ショッピングモールへ行けてしまう好立地、もうひとつ付け加えると、自然豊かな鶴見川が目の前にあります。河川をランニングしたり犬の散歩にも最適。

駅から徒歩20分、バスで5分の場所で、渋谷行きの人気高い東急東横線が最寄り駅です。
横浜までわずか10分、渋谷まで25分。

家の前からは直通バスで新横浜駅も川崎駅も行け(しかも210円!)羽田空港までバスと電車で約1時間。

よくよく考えればすごい便利!!

そんなマンションのすぐそばに世界的にも有名な「アップル社」の会社が出来、さらに人気も高まる中・・・

私たち家族はこの駅前の不動産へ訪れたわけです。

そして・・・売却のタイミングは今かと思うほど最適な雰囲気が漂う・・・なんでかというと??

「今ご契約すると。。。○○万円分プラスされるキャンペーン中です」


なんて言われちゃったんです。ってそれだけで契約するものではないんですがね、普通。

でもこの査定中、いろんなお話を担当者の方に聞く中、もう私の脳内は・・・

「洞爺湖の景色・・・・北海道のやさい・・・果物…牛さん、豚さん・・・・」

と、もうそこに体半分は既に行ってしまったんですよね。

「もう決めよっか。」って主人と目と目を合わせながら・・・・

「売却ーーーー!!」
「マンション売ってまったよーーーー!!」


って明日からすぐにそこを出なくてはならないという訳ではありません。

中古マンションとして売りに出されるだけの話です。
   
(↑この写真は決断し、契約を交わした帰り道。鶴見川の河川敷にて。歩きながらこれからの事話してたな…仕事どうする?とかどこにすむ?とか…不安しかないはずなのに・・・とにかくワクワクしていました)


決めたらば、やる事たくさんですよ!
目標は2017年1月中にマンションを空にして2月、3月は最もマンションの売買が動く時ですから…

色んな人が内覧できるように綺麗にしておきたいねって。

我が家は持ちマンションだったので、手放すためには売らなくちゃならないんです。
とにかく今できる事は何か??

『断捨離!』


そして大引っ越し作業になるので持っていくものは厳選しなければなりません。

さらに言えば・・・北海道ですから・・・荷物は最小限であればあるほどいい!!

それからそれから引っ越し業者も決めて住む場所も決めなくてはなりません。

保育園はいつまでにするか?
仕事はいつまでやるか?
手続きに必要なものってなにがあるか?

周りの人にいつ?どのタイミングでいうか?

などなど・・・問題もやる事も山積みです。
それを乗り越えられるかどうかです。

わたし・・・本当に大丈夫かな?
本当に行けるのかな?
縁もゆかりもない遠い北海道でちゃんと暮らせるのかな?

【あれ?なんか不安だらけになってきた・・・】

夢なんて・・・夢を叶えるなんて事、やるかやらないかでしょう!!
でも、私は『やるー!』

やるって決めたら
足が動いちゃう人なので…
やるよって自分に誓いました。

売却を決断したその日のうちから
とにかく、要らないものは
捨てる、リサイクルショップにもっていく、人にあげる、など…やれることを開始。

そして、とにかく住みたい場所をリサーチ!
家賃、光熱費など、今のすんでいる場所も二重家賃が発生すること踏まえ、探すこと。

北海道に行かずとも探す手立てはないのか?
など、インターネット、知人を介しリサーチをし始めました。

とにかく実現への一歩は踏み出せたかな??

やることリストを作成!!
・家を内覧できる形に持っていく
・引越し業者見積もり
・住むエリアを絞り住居探し
・だんしゃり
・何を持っていくか?決める
・ひとまず区役所にて必要書類を聞く
・保育園に報告
・仕事をどうするか?
・北海道での仕事事情リサーチ
・友人たちに報告
・・・・ん??まだまだあるぞ??
   




なぜか…いつも見ていたはずの景色が
変わって見える、美しく感じる…
外側はいつもと同じ世界を見せてくれているのに・・・
私の内側が変わるだけで、なぜこんなにも違って見えるのだろう。違って感じるのだろう。
そして急に切なくなるのはなぜだろうか…



今日は本当に必要な変化は実は見えている世界より、内側の世界の方が大事なんじゃないかと気がついた話。

私は外の変化を求めながらも実は自分自身の内側と生まれてはじめて向き合っていたのです。自分の声に従って生きるという重みをこの瞬間感じたのです。
続きは…






北海道 壮瞥町在住
kaya nagatomo の北海道移住ブログにお越しいただきありがとうございました!
これは横浜市在住の私と夫と+3歳娘の
北海道に向けての移住ストーリーのブログです。

北海道移住ストーリー①

『決断の日』


旅立ちの決断
2016年11月27日(日曜日)
 
人生で最も大きな決断をした日として、ここに記録したいと思う。
「北の大地“北海道”でありのままの自分を解放したい。自然にかえりたい」
私は新月の度にこのように宇宙に宣言をしました。
 
北海道へ移住する。
きっと大きな決断となったきっかけの一つは
『2015年8月8日』
に北海道の壮瞥町、『洞爺湖 中島』に訪れたことだろう・・・
 
こちらが中島。右に映るは羊蹄山です。


2015年8月8日 
毎年8月8日は「*ライオンズゲート」と呼ばれる日で、2015年は数秘学では「2+0+1+5=8」で、この年のライオンズゲートはトリプル888だった…スーパーミラクルな日だったんですよね。
 
 
*ライオンズゲート
毎年8月8日は「ライオンのゲート」という宇宙の整列が起こります。ライオンのゲートは、地球が銀河の中心と一直線になる時で、物質世界とスピリチュアルな世界との間にある宇宙のポータルが開く時です。
それが、いわゆるライオンのゲートです。占星学でいう獅子座のサインの時に起こります。獅子座は個人が神聖であることを表し、ライオンのゲートのエネルギーは、一人一人が体の中に持つユニークな、聖なる光を完全に目覚めさせるためなのです。
このゲートウェーによって、アセンションが加速する、驚くべき期間になります。今年は、特にエネルギーがスーパー・チャージされます。アセンションのエネルギーが銀河の中心から加速しながら到来し、ライオンのゲートのエネルギーは、もう既にやって来ています!
 

移住に向けて…新しい旅立ちを迎えるのもこのライオンズゲートを中島で迎えたことと深く関係があるのでは!?
と私は思っています。
 
写真でご紹介。

↑中島に堂々と出で立っていたカツラの木の横に私と娘。
すっかり木とお友達になった写真です。
 

北海道は美瑛・富良野に行ったのがはじめてで、2回目の北海道旅行で、洞爺湖には訪れました。

洞爺湖に来て、懐かしいような、新鮮のような不思議と魂が震えたのを覚えています。

「この地で住みたい」と感じたのも単に興味本位というわけではなく、心の奥に存在した魂からの声だったのかなと思っています。
 
2018年の8月に洞爺湖に来たのが1度目で
2度目の洞爺湖は2016年の3月で、これは単純に行きたかったからという理由と、旦那さんがたまたま仕事で北海道にいたということが重なり、8月から数えると…
わずか7ヶ月後に再度訪れることになりました。
 
この3月に訪れた時、知人を介して知り合った方と1日語らうことになったのです。

たまたま、洞爺湖に行くという話をしていたら…
『あら?たしか○○さん、洞爺湖に住んでいたわ〜紹介しますね!」ってな具合。

この紹介していただいた方に本当に会いに行ったのですか、その際にお子さんがシュタイナー学園に通われてる話を聞き、

「シュタイナー教育」という言葉と、私は出会うことになります。

実はこれが…私の人生の大きな分かれ目となります。
 
シュタイナーやシュタイナー教育は知れば知るほど魂が震え、寝る間も惜しんで色々と調べてしまうほどでした。
 
いまではシュタイナー教育を知るために自ら勉強会を開いてしまうほどです…
 
私は本当にエンジンがついたら加速して止まらないなあ・・・とつくづく思います。
 
そして2016年の6月に再度洞爺湖に訪れ
ることになります。

今度は…友人たちを誘って、
シュタイナー学園のいずみの学校のオープンデーに参加したのです。
 
行けば行くほどやっぱり「ここだ!」と感じ、この頃には私の中で「移住」が夢ではなく現実的になってきました。
 
と、同時に夫の中でも「移住」という文字が湧き出ていたと…後に知ることになります。
 
私が友人達と行った洞爺湖から横浜に帰り主人に「話したいことがあるの」(私はそんなこと滅多に言わない人なのです)と言ったら、
俺も・・・と切り出した言葉が

「まるで私が話しているかのよう!!」だったんですよ!

あれは不思議だった…

 
もう、言うことありません!という感じで、お互いに同じことを感じていたことにびっくり。
これが夫婦なのかな・・・
この時ばかりは旦那があなたで良かったワ💓
と思いました。
 
その内容については…
夫婦感で感じる「教育について」でした。

私たち夫婦って、やっぱりどこか普通でなくて、互いに共通しているのが
「変わってる」と思われること。

お互い、現存の公教育に『???』を感じていて、オルタナティブな考えの教育の時代だなと思っていたんです。
私達は今ではなく、10年先、20年先をみています。
 
これからは過去から学ぶのではなく、未来を想像して自分たちで教育も時代も作り変えていく新時代ではないかと。
 
恐れず、今ある価値観をひっくり返して、創造していく。
 
そのために必要なことは、いろんな知識を埋め込むのではなく、創造を作る「脳」の訓練を積んでいくこと。
 
脳にスペースを作ること。
 
頭ではなく、心で生きていくこと。
 
だから、やっぱり自然に満ち溢れた場所で「新しい学び」が必要なんだと、そう感じるわけです。

『教育移住』ともいうのかもしれません。
子どものために、教育を求めて移住をする。
 
仕事にしろ、教育にしろ、頑張って時間をかけて、苦労して勝ち取る時代はもう終わりなんです。
 
そうじゃなくて、自分のやりたいこと、ワクワクすることを心から未来に発信していく時なんです。
 
いろんな流れが相まって、いまその時が来たと、その心の旅立ちの日が今日『2016.11.30』であります。
 

もう、決断してしまいました。
持っていたもの、手放しました。
何を?

家(マンション)を手放したのです。


もう始まっています。
 夢が現実に。

 
決断とは…
必ず何かを手放すのが先です。
保険でとっておくのは無しですよ!
出なければ、決断とは言いません。
私達はもう所有していたものを手放し、未来にあるものを手にする、そういう決断をしたということです。

これから何が起こるか良くみていてください。
 
私のノートにはこう書いてあります。
『2017年、私は洞爺湖のすぐそばに住んでいる。生きている。命に水を与えて生き始めた』と。
 
 
 …住むところも、仕事も、何もかもが決まっていませんが。
行くことは決めました。
洞爺湖に!

待っててねー!!洞爺湖さーん!!

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今回は大好きな北海道の洞爺湖に住むことを決めた記念日として書き綴りました、

そのきっかけは…洞爺湖に3度訪れ自分で、ビビビッときちゃったから✨
てなお話でした。
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続きは…



北海道の壮瞥町在住
kaya nagatomo の北海道移住ブログへお越し頂きありがとうございました。

久しぶり過ぎるブログでございます。

2シーズン目の夏!!到来目前です!!


日々を過ごす事でいっぱいいっぱいの私は・・・あったことを振り返る時間もありません。


でも無いところから導くことも時には大事なこと。


最近のことを振り返りながら、頭を整理中です。


私は現在30年間溜め込んできた(経験してきたこと)ことをアウトプットしながら、新しい世界のインプットを行い、過去と現在と未来を紡いでいる最中でございます。


そんな時は・・・中島みゆきの「糸」を歌いたくなってしまうほど。。。。


紡いで紡いで時にはそこが絡まって、立ち止まって・・・そしてまた紡ぎ出して、ああ、これは一体いつまで続くんだろう・・・・って後に引けなくなって。でもまた始める。


そんな日々を重ねながら、最近色々やっています。


でも確かな光として私の中で輝いているのは、子どもたちとの触れ合い。


もちろん我が子もそうですが、スポーツを通して子どもたちと触れ合ったり、環境プログラムで触れ合ったり・・・そんな時間が楽しくて仕方がありません。


そんな中、感じる子どもたちのこと。


「自分を表現する」


ということに対し、私は焦点をあてています。


それは、体を通してもそうですし、言葉を通してもそうですが、

子どもたちを見ていてその表現方法の個人差を感じています。


「今日体験したプログラム・・・どうだった??」


と、質問した時に


「楽しかったーー!!」


と返ってきますが、そこでだいたい会話が終わってしまうのです。

ほとんどの子供がそうなのです。


でも、幼児に質問すると??

「あれとね、これとね、あれが楽しくてね・・・むにゃむにゃむにゃ・・・」


といつまでも話してくれる勢いです。


この「個」の動きを活発にしてあげられる方法はないのかな・・・??


なんて最近思っています。


学校の授業はインプット時間が多いですので、子供達は

「聞くこと」にはなれているので、こちらが話している時はしっかり聞きます。

(の・・・ように見えるだけなのか??)


でもこちらから質問をしたり、感想を教えて・・・と聞き出し、話をしてもらうと???

すぐに終わってしまいます。



一般的な公立学校の傾向でしょうか?そこは私も比較対象があまりにも小さいのでなんとも言えませんが、様々な小学生を見る機会が増えた最近、そんな風に思っています。


一方で、私がバスケットのコーチを行うシュタイナー学校の生徒達です。


彼らの表現力に最近驚いたことがありました。


バスケットの練習回について、感じたことと、今後の課題について聞かせてくださいと、質問をしました。


メンバー全員に聞きましたが、(中学校1年生から高校3年生まで)

「え?言うの?言わなくちゃいけないの?」と言う抵抗感があまり感じられず、自分の言葉で、さらにある程度整理された言葉で表現していたことにびっくりしました。


シュタイナー教育の教育方法と、公立で行われている教育方法の比較されている雑誌などは色々あり、私も読んだことがありますし、ある程度の認識はありましたが、それは紙面上の話で、

リアルにどう違うかと言うのはやはり教育現場にいなければわからないことだと思います。


単に私個人が感じたことですが、「自分自身を表現する」と言う点について、

公教育の基本的なベースは「みんな同じように」と言うところがあり、はみ出す生徒をできるだけなくすことが教師の求められているところでもあります。


ではシュタイナー教育では??となると、「個」を尊重する教育なので、みんな違っていいじゃないと、子供たちは教育されているので、他の生徒が意見していることに対し、自分の考えと比較しつつも、自分はこう思うと言う考えを持つことができているように感じます。


そのような場面を前にすると、やはり現在の教育方法については多くの疑問を持ってしまいます。


そこで、インプットをしたらアウトプットをする。さらにそこに人と人とが繋がるコミュニケーションも含めて行う。


そんな場面を多く作ってあげたいなと思いつつ、小さな試みですが色んなプログラムを構築している最中です。具体的には???


と・・・・言うのはここではまだご紹介できませんが・・・

自然と人を繋げられる環境プログラムを通して、そんなことができたらいいなあと考え始めています。


ちなみに・・・・この写真は、洞爺湖をテーマにした環境プログラムを行った時の一コマ。


私自身も知りませんでしたが、湖と生き物と、そこにすむ人と、歴史を重ねていくと面白い!さらにそこにゲームとか入れたら子供も喜んでくれました!!


まだまだ経験値は足りませんが、色々生み出して行きたいなと思う最近です。


何が書きたいのかわからなくなりましたが・・・今日は私の独り言のようなブログ。









富士山の麓にある浅間神社にて…
溶岩樹型と出会う。
富士山の溶岩樹型に萌えた ↑

 

さて、
去年の12月頃だったかな…

娘の出産でお世話になった助産院バースハーモニーの院長、純子先生からね…
こんなメッセージを頂きました。

『ハワイ…行ってきたよー!かやちゃんに火山繋がりで伝えたいことがあってね!
それとは別の話なんだけど、

4月に襷ランという企画があって、マウントシャスタ、マウナケア、富士山を愛と祈りで繋ぐために、走る、という企画なんです。

世界中の有志が集まって富士山の周りを一周走るそうなのです。

河口湖で、古家を宿泊する場所に使ってもらうようにしたんですよ。 かやちゃんも、一緒にどう?』

という、お誘いでした。

おそらく先生は火山マニアの私にハワイで見てきたジオ(地球)の話や、
マウナケアで繋がったご縁を伝えたかったのだと私は受け取りました。

なんだろ…その背後から感じる大きな存在というのでしょうか…

先日バースハーモニーの夜会で
『火山ガール』の話をさせていただいた事からきっと繋がっているんだと思います。

私は、ハワイのキラウエア火山に行きたいのです。

キラウエア火山に行くなら、マウナケア火山にも絶対行きたいですよ!

ハワイ島の中でも一番標高が高く、4000メートル超え!

火山マニアならば、絶対に行きたい場所。

さーらーに!
シャスタ山!

まぁ、スピリチュアルな話になってしまいますが、私のルーツを辿ると…
シャスタ山にはとても縁が深い。

そして、私の生まれた静岡のシンボル富士山。
富士山は私が色々な目覚めを起こした場所。

この3つが揃って行かない理由が無い!!

問題は、私が現在「北海道在住」という点が引っかかりますが、そこをなんとかしちゃうのが宇宙ですね。

たまたまなんとかなっちゃう日程だったので、私はぽーーーーんと行っちゃった訳ですょ!

でも、行って分かりました。

何がって…全てがこの日に標準を合わされていて、なんの狂いもなく、
ピタリピタリとパズルのピースのようにはまって行く。

打ち合わせなんて、直前までなーんにもしてないのに。

当日のその直前まで、
『私は走れるの?』って事すらも知らなかったわけで…

全てが宇宙の采配のままに動きました。

私が今回、このイベントに参加しようと思った理由はもう一つありました。

それは『襷をラン(ランニング)』で繋ぐというところ。

よく『祈り』のイベントってあります。

あるけど、走る事で、それが祈りになるってどーゆー事なんだろうと。

興味がありました。

とにかく、動きがあるって最高!!

私に向いてる!見たい、行きたい、やりたい、衝動に駆られていました。

そして…
シャスタ山の羽を受け取り…

私たちは襷を繋ぎます。

サポーターとして 胎話セラピストの
愛子さんも入り、
助産院バースハーモニーの純子先生にかずさんに、私に(ワンコのスフレ)
4人と一匹で繋がらせて頂きました。


日本の神様が先導し走るという
ルールのもと…

およそ2キロ位走り…次のランナーへ
祈りを繋ぎました。


わたしが走っていて感じた事。


ああなんか今、祈りの輪の中にいるなあ・・・と。

足が軽やかで、走っても走っても疲れた感じがしない、とても不思議な感覚。


ただ走り、地球という大地を踏みしめるだけでいいんだ。


なんて軽やかだろう。わたしはきっと日々この繰り返しなんだろうな・・・と。

思うのでした。


「祈り」とはなんだろう?そして繋ぐとは何だろう?


そういうことを考えさせられたし、そして何より

「北海道にいるからどうせ無理だろうな・・・」とも考えず誘ってくれたのがとっても嬉しかった。


足が届く範囲であればどこでも行きます。必要があれば。


月や火星は無理だけど。。。

地球だったら、行けます行けます!!


わたしのハートはそのぐらい広がっています。



マウナケアも、シャスタも絶対行くからね♪




わたしの娘が幼児シュタイナー教育を受け始めて一年が経ちました。

その運営母体である「ひびきの村」にてウテ・クレーマーさんの講演会がありました。


【ウテ・クレーマーさんについて簡単にご紹介】

・27歳の時、ドイツの青年海外協力隊のボランティアとして、ブラジル・パラナ州ロンドリーナに派遣され、ファヴェーラ(貧民街)の子どもたちと出会いました。そこで2年間ボランティア活動をしました。

・ドイツに帰ってからも、ブラジルに戻りたいと強く思うようになり、シュタイナー学校の代用教員を3ヶ月、その後シュタイナー教育教員養成講座を受講し、シュタイナー教員資格を取得しました。

・ブラジル(サンパウロ)のシュタイナー学校に赴任。

・ボランティア時代の子どもたちと連絡、ウテさんを頼って若者たちがやってくる。 

・ファヴェーラのこどもたちが訪ねてくる。「何かください。乾燥したパンでも何でもいいから」 

・ファヴェーラの子どもたちを自宅に受入れ、芸術活動を与える。    

・シュタイナー学校生徒とファヴェーラの子どもたちの交流。自宅へのファヴェーラの子どもたち訪問数増加、資金不足に。    

・ドイツ人弁護士が1万マルク寄付してくれる。 

・小さな学校と小さな診療所完成。 

・ブラジルのシュタイナー学校を退職。モンチアズールで活動専念開始。    

・モンチアズール・コミュニティ協会(ACOMA)設立。    

・アントロポゾフィー医師、診療開始。ドイツに一時帰国。 

・ペイーニャ(隣のファヴェーラ)にも学校、保育所建設。 ひびきの村サイトより




私はこのウテ・クレーマーさんについて講演会のチラシを頂くまでこの時まで知らなかったのですが、頂いたご案内を見たときに「行かなきゃ!!」という電流が走りました。


それはなぜか?

一つには「ブラジル ファベーラ(貧困街)」へコミュニティを作った。ということ。


私はとある番組でブラジルのスラム街(ファベーラ)の存在を知っていました。私が見たのはリオデジャネイロのファベーラで、夜は銃声が飛び交うこともあり、非常に危険だけど、日中子どもたちはプールに入ったり、外で遊んだりはできていると。貧困に苦しむスラムのギャングと警察との銃撃戦だってあるし、その中で起こる殺す、殺しあうという緊迫した空気、ロケットランチャーが飛ぶ事だってあるようでした。


ほとんどの場合は、好きでそうしているわけでなく生きるためにそうならざる終えなかったりする。やってやられる世界から、身を守るためにまだ子どもだけど銃を持っていたり、食べるために物乞いをしたり、日本からは想像できないスラムの人々。


今でも尚、そういう情勢は続いているのだけど、このウテさんが始めて訪れた1965年(52年前)というのは、それ以上にとても困難な状態だったはずです。


リオからは随分離れているモンチアズールという場所(ウテさんがコミュニティを作った場所)でその情勢が同じかどうかは分かりませんが、「ブラジル ファベーラ」というのは私の中でとても大きく残っていたのが、頂いたチラシから思い出しました。


それと、もう一つ。私のお爺ちゃんはお坊さんで、良くブラジルに行っていたそうです。それはブラジルの貧困の事情を知っていたのか?どうかまでは定かではありませんが、浄土真宗の普及のためという事で、何度か訪れていたというのが心に残っていました。それに私の生まれ育った静岡県浜松市は、日本の中でブラジル人が多い地域で、なぜか親近感があったのです。


まあ、いろいろなキッカケがあり「行かなきゃ!!」となったのですね。


9:00から17:00までの長いワークショップでした。

ウテさんの講演だけでなく、ひびきの村の運営者でもある関さんによるオイリュトミーワークやひびきの村で作って頂いた美味しいカレーを食べながら参加者の方と談話したり、初体験のカポエラをしたり!

ただその講演を受け取るだけでなく、様々な刺激を受けました。ここには書ききれないほどに。


今回はウテさんのお話を聞いて、私が感じたことを書き留めておきます。

おそらく、私はウテさんのエネルギーに触れたくていったんだと思いますが、ファベーラ(貧困街)の中でシュタイナーの考えをもとにコミュニティを作り上げていく、ゼロのところからの積み重ねの苦労を直に聞くことが出来るこれは生きた財産です。


コミュニティは一人が二人になった瞬間から始まるのだと思いますが、夫婦でさえもそのコミュニティというのは難しいのに・・・それが何十人、何百人、何千人と・・・それを束ねていくことが出来るのはなぜなの??

どんな苦労があったのか?なぜそれが出来たのか?知りたいことが沢山ありました。


ウテさんが「私はこれをやる為に生まれたんだ」とお話ししたときにはとても共感しました。


「私はなんで生まれたの?」「生きる理由とは何?」


自分の魂と繋がり、それがわかり生き抜いて行くというのは、これほど強みはないと思います。


私自身も「私はなんのために生まれたのか?」を知っているからこそ・・・すっごくウテさんと繋がることができたし、自分の中に描かれている未来の答えあわせをしてもらっているような感覚になり、途中涙が溢れて来ました。


いろいろな話を聞く中で、私の中から湧き上がっては消えない思いがありました。


ウテさんは、「貧困」という問題と向き合って来たのですが、これは見方にはよっては何をどうしていけば良いか、人間的に分かりやすいなと感じたこと。


貧困がなくなるためにはどうすれば良いか?そこには一つには「豊かになること」という解決方法があるのですが、その豊かというのはここでは「物質的な豊かさ」が大きく占めているかなと思いました。


食べることが出来る、着ることが出来る、学ぶことが出来る、医療を受けることが出来る、住むことが出来る・・・・などかな。


人は貧しいところから、そうやって豊かになって行くと幸せになるのでしょうか?


それは突きつけられた問題でした。今の日本を比較したときに、おそらく想像以上の物質的豊かさがあるからです。


これはきっと戦後の日本もそうだったはずです。

何もないところから得るというその時は喜びさえも分からぬままただ生きて行くのに精一杯。


では、物凄くありふれている今の日本の子供達。多くのものがある中で何を喜びに変えているのだろうか?こんなにも豊かで不自由がないはずなのに、生きる苦しみを持っている子供達がいるのは、何なんだろう?


世界で一番若者が自殺をする国、日本。


何を苦しく思い、若者たちはこの世を去って行くのだろう?


生きる喜びというのは「物質的な豊かさ」にある訳ではないと思うのです。


ウテさんや戦後の日本は「足し算」方式で、豊かさを追求し物を増やして来て、そこに生きる喜びを見出して来た・・・そのような傾向にあると思いますが、今、子供たちに必要なのは


「引き算」方式で、無いところにどんな生きる喜びが隠されているか、見出していってあげることだと思います。


その答えは、私は「自然とつながること」だと思います。


水がない、食べる物が無い、着るものがない、家が無い、

無い無い生活を体験して、そこからいまある世界と照らし合わせ、幸せとは何かの体験を重ねて行く。


だからこそ、野外教育というのは「今の日本」には欠かせないのでは無いか・・・

と思います。


私の向かう先というのはそこだった訳ですが、その答えあわせをこのウテさんとの出会いによってできたのかな・・・と私は受け取りました。


という事で・・・参考までにこの記事です。